お雪は屋外(そと)に出して置いた張物板を取込んでいた。そこへ夫が帰って来た。曾根のことは二人の話に上った。
「真実(ほんと)に、曾根さんはお若いんですねえ……」とお雪は乾いた張物を集めながら言った。
「女の年齢(とし)というものは分らんものサ」と三吉も入口の庭に立って、「俺(おれ)は二十五六だろうと思うんだ」
「まさか。あんなにお若くって――二十二三位にしか見えないんですもの」
「独身(ひとり)でいるものは何時までもああサ」
「それに、あんなに派手にしていらっしゃるんですもの」
「そうさナア。あの人にはああいう物は似合わない」
「紫と白の荒い縞(しま)の帯なぞをしめて……あんな若い服装(なり)をして……」
「あの人のはツクルと不可(いけない)。洒瀟(さっぱり)とした平素(ふだん)の服装(なり)の方が可い。縮緬(ちりめん)の三枚重かなんかで撮(と)った写真を見たが、腰から下なぞは見られたものじゃなかった。なにしろ、ああいう気紛(きまぐ)れな人だから、種々な服装をしてみるんだろうよ……ある婦人(おんな)があの人を評した言葉が好い、他(ひと)が右と言えば左、他が白いと言えば黒いッて言うような人だトサ」
「悧好(りこう)そうな方ですねえ。私もああいう悧好な人に成ってみたい――一日でも可いから……ああ、ああ、私の気が利かないのは性分だ……私はその事ばかし考えているんですけれど……」
こう言って、お雪は萎(しお)れた。
直樹とお福とは部屋の方で無心に口笛を吹きかわしていた。
その晩、三吉は直樹やお福を集めて、冷(すず)しい風の来るところで話相手に成った。
「さあ、三人でかわりばんこに一ツずつ話そうじゃ有りませんか」と直樹が言出した。「私が話したらば、その次にお福さん、それから兄さん」
「それじゃ泥棒廻りだわ」とお福が混反(まぜかえ)す。
「そんなら、兄さんから貴方」
「私は出来ません。話すことが無いんですもの」
こう若い人達が楽しそうに言い争った。雑談は何時の間にか骨牌(トランプ)の遊に変った。
「姉さんもお入りなさいよ」と直樹はお雪の方を見て勧めるように言った。
「私は止(よ)します」とお雪は子供の傍で横に成る。
「何故(なぜ)?」と直樹はツマラなさそうに。
「今夜は何だか心地(こころもち)が悪いんですもの――」と言って、お雪は小さな手をシャブっている子供の顔を眺めた。
無邪気な学生時代を思わせるような笑声が起った。「ああ、ツライなあ、運が悪いなあ」などと戯れて、直樹が手に持った札を数える若々しい声を聞くと、何時もお雪は噴飯(ふきだ)さずにいられないのであるが、その晩は一緒に遊ぼうともしなかった。急にお房は反返(そりかえ)って、鼻を鳴らしたり、足で蹴(け)ったりした。お雪は肥え太った子供の首のあたりへ線香の粉にしたのを付けた。お房は怒って、泣いた。乳房を咬(くわ)えさせて、お雪は沈んで了った。
田舎(いなか)の盆過に、復た曾根は三吉の家を訪ねた。その時は一人でやって来た。水車の音も都会の人にはめずらしかった。暫時(しばらく)彼女は家の門口に立って、垣根のところから南瓜の生(な)り下ったような侘(わび)しい棲居(すまい)のさまを眺めた。
お雪は裏の柿の樹の下へ洗濯(せんたく)物が乾いたかを見に出た。直樹は遊びに出て居なかった。
「曾根さん――」
とお雪は女の客を見つけて、直に家の内へ案内した。
寂しくている三吉も喜んで迎えた。曾根が一人で訪ねて来たということは、ある目に見えない混雑を三吉の家の内へ持来(もちきた)した。曾根は、戸の間隙(すきま)からでも入って来て、何時の間にか三吉の前に坐っている人のようであった。
「お雪、鮨(すし)でも取りにやっておくれ。それから、お前も話しに来るが可い」と三吉は妻の居る処へ来て言った。
「私なんか……」とお雪はすねる。
「そう言うものじゃないよ。ああいう人の話も聞くものだよ」
こう言って置いて、三吉は客の方へ戻った。
庭に咲いた松葉牡丹(ぼたん)、凌霄葉蘭(のうぜんはらん)などの花の見える奥の部屋で、三吉は大きな机の上へ煙草盆を載せた。音楽や文学の話が始まった。蜂(はち)と蟻(あり)と蜘蛛(くも)の生活に関する話なども出た。
「こういう田舎で御座いますから、何にも御構い申すことが出来ません」
とお雪は、子供を抱きながら、取寄せたものを持運んで来た。
「まあ、房(ふう)ちゃんで御座いますか」
と曾根は可懐(なつか)しげに言って、お雪の手から子供を借りて抱いてみた。膝(ひざ)の上に載せて、頬(ほお)を推当(おしあ)てるようにもしてみた。お房は見慣れない他(よそ)の叔母(おば)さんを恐れたか、声を揚げて泣叫ぶ。土産(みやげ)にと用意して来た翫具(おもちゃ)を曾根が取出して、それを見せても、聞入れない。お雪はこの光景(ありさま)を見ていたが、やがてお房を抱取って、炉辺の方へ行って了った。
暫時(しばらく)、曾根は耳を澄まして、お房の泣声を聞いていた。
「昨晩は――私は眠られませんでした」
と曾根が言って、避暑地の霧に悩まされていることなどを話出した。彼女は、何かこうシッカリと捉(つか)まる物でも無(なけ)れば、自分の弱い体躯(からだ)まで今に何処へか持って行かれて了うような眼付をした。
「日記といえば」と曾根は又思出したように、「私も日記をつけてみましたけれど……不平なようなことばかりで、面白くないものですから、大晦日(おおみそか)の晩に焼いて了いました。そして、元日に遺言状を書きました。ああ狂(きちがい)……私のようなものが世の中に居るのは間違なんで御座いましょう……」
深く沍々(さえざえ)とした彼女の黒瞳(くろめ)は自然と出て来る涙の為に輝いた。
その日、曾根は興奮した精神(こころ)の状態(ありさま)にあった。どうかすると、悲哀(かなしみ)の底から浮び上ったように笑って、男というものを嘲るような語気で話した。
お雪はこの仲間入に呼出されても、直に勝手の方へ行って、妹を相手に洗濯物を取込むやら、霧を吹いて畳むやらしていた。曾根が礼を述べて、別れて帰る時、お雪は炉辺で挨拶(あいさつ)した。
「まあ、宜しいじゃ御座いませんか……もっと御緩(ごゆっくり)なすったら奈何(いかが)で御座います……」
と客を引留めるように言ったが、曾根は汽車の時間が来たからと断(ことわ)って、出た。三吉はお雪に言付けて、停車場まで見送らせることにした。
お雪が子供を背負(おぶ)いながら引返して来てみると、机の下に、「お雪さまへ、千代」とした土産が置いてあった。千代とは曾根の名だ。
「曾根さんは黙ってこういうことをして行く人だ」と三吉が笑った。
お雪はその紙に包んだ女持の※子(ハンケチ)を眺めながら、「汽車が後(おく)れて、大分停車場で待ちましたよ――三十分の余も」
「何か話が出たかネ」と三吉は聞いてみた。
「曾根さんが私のことを、『大変貴方は顔色が悪い』なんて……」